治安維持法などを勉強しました

勉強をしました。普通選挙法と同時に治安維持法が制定されました。これは「国体」(ここでは天皇制をさす)の変革や私有財産制度の否認を目的とする運動を処罰することができ、また同年に実現した日ソ国交の樹立に影響されて、共産主義思想やそれらの運動がさらに高まることを防ぐねらいがありました。加藤内閣が成立し、1932年の五・一五事件で犬養毅内閣が倒れるまでの約8年間は、憲政会(のち立憲民政党)と立憲政友会との二大政党が交代で政権を担当しました。このように、衆議院に基礎を持つ政党が交代で内閣を組織することは「憲政の常道」と見なされました。大正から昭和初年の文化でめだつ現象は、都市化と大衆化が急速にすすんだことでした。工業の発展は人口の都市集中化を招き、東京・大阪を中心に市民の生活様式が大きくかわりました。住宅地域は近郊に広がり電灯・水道・ガス施設をそなえた和洋折衷の文化住宅に住むサラリーマンが洋服姿で郊外電車に乗り、乗合自動車や市電に乗りかえ、鉄筋コンクリート造の官庁や会社に出勤する風景が日常的になりました。職業婦人としての女性も増え、タイピスト・電話交換手、バス・市電の車掌などが花形の職業となりました。コラゲナイト